「得気・ひびき・鍼感」の臨床的意義。痛いからと言って安易に避けるべきではない理由。
鍼に対するイメージは何ですか?おそらく「痛い」というイメージを持たれる方がほとんどだと思います。そして、「実際鍼をして痛くなかった。」という方でも、その「痛み」は「想像していたよりも痛くなかった。」というもので、「無痛」ではない場合がほとんどだと思います。今回は、この「鍼の痛み」について述べていきます。
鍼を刺したときにチクッっとする切皮痛(皮膚をつらぬく際の痛み)以外に「得気・ひびき・鍼感」と呼ばれる「痛み」を感じることがあります。実際この感覚は、痛みを脳に伝える経路を辿っていき、「鈍い痛み」として脳で認識されるものです。人によっては、「ずーんとした。」「引っ張られるような感じ。」「(よくわからないので)ただただ痛い。」と様々だと思います。また、切皮痛は「鋭い痛み」の経路を辿るため、同じ「痛み」でも、実際は区別して考える必要があります。
「じゃあ鍼をすると結局痛いじゃないか。。。痛いことをして何の意味があるの?」と考える方が多数いると思います。しかし、この「鈍い痛み」は決して悪いだけのものではありません。古来より「得気・ひびき・鍼感」と呼ばれているもので、「あったほうがよい」と言われているものです。
得気というもの
鍼療法は、中国から伝播したもので、「得気(deqi)」は中国語で「気を得る」という意味です。気というものは概念的なもので、直接見ることはできません。しかし、「得気」の反応から刺激が十分であるか否か(気は満ちたか)を判断します。
得気の感覚(受け手):
酸:筋肉痛のような感覚
麻:痺れるような感覚
重:重だるいような感覚
張:張ったような感覚
得気の感覚(施術者):
明代末に著された(著者不明)『鍼灸六賦・標幽賦』:「気之至也, 如魚、呑鈎餌之沈浮 」 (気が至れば、まるで魚が釣り餌を呑込み浮き沈みしているようである。[1]
得気の重要性:
明代・萬歴 29年 (西暦 1601 年)に揚継洲が著した『鍼灸大成 ・ 経絡迎随説為問答篇』 :「只以得気為度, 如此而終不至者, 不可治也.」(得気を得ることを心がける 得気がなければ治療効果はよくない)[1]
『鍼灸大成・経絡迎随説為問答篇』には , 「有病遠道者, 必先使気直到病所」と記載されている。これには.遠位取穴の時には必ず鍼のひびきを疼痛部位に放散させなければならないことを述べている。[1]
得気理解の要点:
①得気がないと治療効果がわるいが,得気があると症状が明らかに改善される ;
②気が速く至れば症状の改善が速いが,気が至るのが遅ければ症状の改善が遅い ; ③身体の陰陽を調節すること (身体の気を調えること )によって得気が受けやすくなる[1]
刺激量と効果の違い(肩こりに対する研究の紹介)[2]
大崎ら(2018)らは、肩こりを有する患者さんを浅刺グループ(8人)と深刺グループ(8人)にランダムに振り分け、自覚する部位を刺鍼点とし、評価(VAS、SPADI、ひびきの有無、満足度)を行った。浅刺は切皮のみ(5mm)とし、深刺は10~20mmとした。治療回数は計5回(週1回)とした。評価時期は、治療前後と終了4週間後とした。
結果、 経時変化パターン、初回治療前に対する初回直後および治療終了4週間後の変化量で有意差をみとめ、深刺グループのほうが良好な結果となった。また、鍼の刺入感覚とひびき感(得気)でも有意差を認め、深刺グループで「有」と答えた人が多かった。
大崎らは「鍼の刺入感覚とひびき感について群間に有意差を認めたことから、これらの違いは治療効果の相違に影響する一因である可能性を考えた。」と述べている。
以上の研究から、深度や刺激量は慎重に検討すべきことがわかります。
さいごに
痛いだけに見える鍼療法も、こういった科学的な根拠に基づいた運用がなされています。理由も無く刺激量を上げる必要は無いですが、同時に理由も無く刺激量を下げる必要もありません。鍼臨床では十分説明した上で、十分な刺激を行う必要があるのです。得気の存在を無視しべきではありません。
昨今では、患者主体の医療が提唱されています。しかし、これは一から十まで(刺激量から施術方法まで)患者さんの言うリクエストに従うという意味ではありません。受け手側も十分な説明(インフォームドコンセント)を受けた上で、鍼療法を理解し、一緒に症状改善に取り組むこと(アドヒアランスの実施)が重要です。
[1奈良上真. 得気(鍼のひびき)についての文献的考察[J]. 明治鍼灸医学, 1991, 8.
[2]大崎彩加, 今枝美和, 北小路博司,等. 肩こりに対する鍼の剌入深度の違いによる効果の相違一予備的ランダム化比較試験—[J]. 全日本鍼灸学会雑誌, 2018.