留学時の思い出:とある片麻痺患者さんの歩行の変化
私は、天津中医薬大学(中国)に4年間留学(医学修士)していました。9月に現地に到着してすぐに、ご縁があって、同年11月から第一付属病院の鍼灸外来に入って補助をしていました。同大学第一付属病院は、脳卒中後遺症に対する鍼灸治療「醒脳開竅法(せいのうかいきょうほう)」が有名で、鍼灸科は脳卒中後遺症の患者さんであふれていました。
そこで知り合ったある一人の患者さん(脳梗塞による片麻痺)によく「歩くから見とけ」と言われました。一定の距離をゆっくり、ゆっくり、ぎこちなく歩いて、ゆっくり戻って来て、必ず言われるのは「どうだ?」という一言でした。最初は何を言われているのか分からなかったのですが、「前回と比べてどうか?改善したか?」ということを聞いているのだなということが段々わかってきました。この患者さんは老病人(lao bing ren)といって、長い期間通院している患者でした。名前は王さん(仮名)としておきます。
そこの外来には1年半ほどいたのですが、後半は研究や配属などの関係もあって、王さんに会うこともなくなっていきました。
留学生活をあと少しで終えるという時に、お世話になった先生方の挨拶に回っていたのですが、久しぶりに王さんにバッタリ出くわしました。私を見つけると、「元気か?今はどこにいるのか?」と言った話の後に、「歩くから見とけ」といって、いつも通り歩き出しました。
歩いて、戻ってきて、「どうだ?」というのですが、以前は少しの変化しか感じなかった(もしくはわからなかった)はずだったのですが、驚くほど変わっていて、ほとんど傍からは片麻痺だとは分からない程度になっていました。王さんは、私が驚いているのを察したのか「主任(主任医師)の鍼が良かったんだ。良くなったんだ。」といって笑いかけてくれました。その時、ふともうすぐ4年経つのか、、、といったことを実感しました。
一般的には、脳卒中発症から半年までを回復期、半年を超えると後遺症期といって、ほとんど機能回復は望めず、経過はプラトー(平坦)となります。中には、半年を過ぎた後でも機能回復が起きたりする場合もあり、人間の回復力は数字では表せない部分もあります。実際、研究データなどは平均を取ったものであり、すべての人に当てはまるものでもありません。
すべての人が、回復するわけではありませんが、中には回復していく方もいらっしゃいます。治療を継続していくことの重要性を感じたエピソードでした。
私は、天津中医薬大学(中国)に4年間留学(医学修士)していました。9月に現地に到着してすぐに、ご縁があって、同年11月から第一付属病院の鍼灸外来に入って補助をしていました。同大学第一付属病院は、脳卒中後遺症に対する鍼灸治療「醒脳開竅法(せいのうかいきょうほう)」が有名で、鍼灸科は脳卒中後遺症の患者さんであふれていました。
そこで知り合ったある一人の患者さん(脳梗塞による片麻痺)によく「歩くから見とけ」と言われました。一定の距離をゆっくり、ゆっくり、ぎこちなく歩いて、ゆっくり戻って来て、必ず言われるのは「どうだ?」という一言でした。最初は何を言われているのか分からなかったのですが、「前回と比べてどうか?改善したか?」ということを聞いているのだなということが段々わかってきました。この患者さんは老病人(lao bing ren)といって、長い期間通院している患者でした。名前は王さん(仮名)としておきます。
そこの外来には1年半ほどいたのですが、後半は研究や配属などの関係もあって、王さんに会うこともなくなっていきました。
留学生活をあと少しで終えるという時に、お世話になった先生方の挨拶に回っていたのですが、久しぶりに王さんにバッタリ出くわしました。私を見つけると、「元気か?今はどこにいるのか?」と言った話の後に、「歩くから見とけ」といって、いつも通り歩き出しました。
歩いて、戻ってきて、「どうだ?」というのですが、以前は少しの変化しか感じなかった(もしくはわからなかった)はずだったのですが、驚くほど変わっていて、ほとんど傍からは片麻痺だとは分からない程度になっていました。王さんは、私が驚いているのを察したのか「主任(主任医師)の鍼が良かったんだ。良くなったんだ。」といって笑いかけてくれました。その時、ふともうすぐ4年経つのか、、、といったことを実感しました。
一般的には、脳卒中発症から半年までを回復期、半年を超えると後遺症期といって、ほとんど機能回復は望めず、経過はプラトー(平坦)となります。中には、半年を過ぎた後でも機能回復が起きたりする場合もあり、人間の回復力は数字では表せない部分もあります。実際、研究データなどは平均を取ったものであり、すべての人に当てはまるものでもありません。
すべての人が、回復するわけではありませんが、中には回復していく方もいらっしゃいます。治療を継続していくことの重要性を感じたエピソードでした。